
最近、ちょっと面白いことに気づきました。
同じChatGPT(5.6 Sol)を使っているのに、私のちゃっぴーと、友人のちゃっぴーでは、なんとなく感性が違うんです。
先日、「オタクという言葉を言い換えると?」と、それぞれのちゃっぴーに聞いてみました。
うちのちゃっぴーは、
「偏愛家」
友人のちゃっぴーは、
「小さなしあわせの蒐集家」
でした。
……負けたw
でも、面白いのはここからです。
友人が創作で使っているプロンプトを見せてもらったことがあります。
意外なくらい、簡単なんです。
なのに、出てくるものには、ちゃんと「あの人の世界」がある。
なぜだろう?
たぶん、プロンプトだけを見てもダメなんですよね。
普段の会話のなかで、
これは好き。
これは違う。
もう少しこうしたい。
これは説明しすぎ。
この感じは好き。
そんなやりとりを、ずっと繰り返している。
AIが何かを出す。
人間が選ぶ。
またAIが出す。
また選ぶ。
そのうち、AIとの間に「何をいいと思うか」のようなものができてくる。
もちろん、AIそのものが人間みたいに育っているわけではありません。
でも、その人とAIの「あいだ」にあるものは、少しずつ育っているように「見え」ます。
しかも面白いことに、AIに好みを教えているうちに、人間のほうも、
「あ、自分はこういうものが好きだったんだ」
と気づいたりする。
そう考えると、AIとの創作って、プロンプトを書いたところから始まるわけではないのかもしれません。
そのずっと前。
「これは好き」「これは違う」と言っていたところから、もう創作は始まっていた。
そんな気がしています。
友人と創作を始めました。
─ よかったら、覗いてみてくださいね。

